はじめに
私は正規教員を退職し、この間、時間講師として公立高校で数学を教えてきました。今の高校は、やはり受験教育が「本道」です。数学教員にとっての「花形」は、受験に数学を使う理系クラスや国公立文系クラスを担当することです。
そんな中、私は臨時講師として、受験で数学をほぼ使わない文系の生徒を担当してきました。正規教員が受け持ちたがらない分野です。そこで、様々な成功や失敗体験を積み重ね、一体何のために人は学ぶのか・教育の役割は何なのか、実践と思索を積み重ねてきました。
AIエージェントの衝撃
生成系AIのすごさ
そんななかでのAIの台頭です。
私は、このブログでも詳しく紹介しているように、学習アプリPUCFlashや図鑑アプリBPUCPhotoをコロナ禍の頃から開発し、教育現場で活用してきました。
昨年秋にAIを使ってアプリ開発やサーバー構築を行ったところ、びっくりするような成果を上げました。1年分ぐらいの仕事を1週間ほどでやりとげました。ChatGPTと対話しながら開発を進める作業は、とても楽しかったのです。
バイブコーディングの衝撃
それでも十分にすごかったのですが、最近始めたAIエージェントをつかったバイブコーディング (Vibe Coding)は衝撃的でした。
AIに自然言語で「〜な感じの機能を作って」と指示し、AIが生成したコードやUIをAIと共に修正しながら高速で開発する手法です。AntigravityというGoogleのAIエージェントと使った開発体験はあまりに凄すぎて、プログラミング言語を「学ぶ」意欲がなくなりました。実現したいことをAIに投げると、勝手にプログラミングしてくれて、しかも、私が作るより遥かに完成度が高いのです。
この間、PUCFlashの大規模な改善を行っていますが、私はプログラムコードを一行も書いていません。AIが勝手にコードを生成するのですが、そのコードを見ることすらしていません。実現したい機能をできるだけ正確に記述し、結果を検証して、更に改善を促すことを、普通の日本語でAIに指示しているだけです。
誤解のないように言っておくと、プログラミングの学習や教育は必要だと思います。それなしには、AIに適切な指示が出せません。ただ、コードを書くだけのプログラマーは、AIに置き換わっていくでしょう。
社会や会社に「役立つ」知的労働はAIがやってしまう時代
開発の最前線ではとんでもない地殻変動が起こっていると思います。企業のオフィスでもしかり。人間がコツコツプログラミングしたり、エクセルにデータを入力して分析したり、パワーポイントでプレゼンの資料を作ったりといった知的労働は、すべてAIに置き換わりつつあります。
まだ、肉体労働は人間が担う部分が大きいと思いますが、それもやがてロボットが代替していくのではないでしょうか。
AIの台頭が問い直す学びや教育の意味や目標
「役立つ人材育成」というおぞましい教育目標
学習指導要領では、高校で数学を学ぶ目的を
「数学を日常生活や社会の事象の解決に生かそうとする態度,粘り強く考え抜き数学的論拠に基づいて判断しようとする態度,問題解決の過程を振り返って評価・改善しようとする態度を養う。」
としています。育てるのは「態度」なんですね。すごく違和感を感じます。
ここではあまり露骨に書かれていませんが、様々な財界の文書や各学校の掲げる教育目標や校長の訓示でなど、「社会や企業に役立つ人材の育成」などという言葉が当然のように掲げられています。
「今後も変化し続ける実社会で通用する人材を育成するには、早い段階から社会との接点を作り……社会のニーズを知ることは、自らの人生を考える重要な材料となる。」
— 経済同友会「変革を推進する人材の育成」提言より
私は「人材」という言葉が大嫌いです。「人材」という言葉は英語の “Human Resources”(人的資源)の訳語として定着しましたが、これは人間を資本(Capital)や資材と同列に扱う管理側の視点に立った言葉です。「社会の部品」や「会社の道具」というニュアンスを拭い去ることは難しいです。こんな言葉を、財界はともかく、教育現場で使うことは許されないと私は思います。
しかし、校長の講話・訓示や、各高校が掲げる学校目標の中に、平然と「人材育成」という言葉が使われているのが現状です。
教科書や共通テストの行き過ぎた「生活に役立つ数学」
大学入試共通テストでは、太郎くんと花子さんが対話をしながら数学を使って日常で出会う課題を解決する過程が問題として出題されます。教科書には、「日常生活と数学」のような章が設けられています。
しかし、無理に「日常生活や社会活動に役立つ数学」を演出すればするほど、袋小路に陥るように思います。
かつて大阪維新の会を創設者の一人である大阪府知事時代の橋下徹氏は、
- 会議での発言(2015年)
「三角関数、いつ使うのか。サイン、コサイン、タンゼン(ト)、人生で使ったことは一度もない。あんなの、知らなくても生きていける」- Twitter(現X)での補足的な発言
「今の学校教育は、実社会で生きていくために必要な知識を教えていない。三角関数を一生懸命やるよりも、今の日本社会の仕組みや、税金、社会保障、交渉術などを教えるべきだ。」
などと発言し、物議を醸しました。この発言は、為政者が教育を「役立つ道具」であるべきとみなし、役立たないものは不要とみなしていることを露骨に表しています。この前提に立つ限り、この発言を前に、「いや、数学は役に立ちますよ」といくら反論しても、説得力はないように思います。
大学入試共通テストや教科書が、あれほどまでに、「数学はこんなに役に立ちますよ!」というアピールをすることに、見苦しさすら感じます。「数学は役に立つから学ぶのではない。もっとでっかいことをめざして学ぶのだ!」と開き直ったら爽快なのに。
意味を失う「人材育成」
ところが、皮肉なことに、今や、橋本氏が大切だと指摘した日本社会の仕組みや、税金、社会保障、交渉術などは、AIに聞けばたちまち答えが返ってくるのです。交渉術など、教師が教えるより、AIのほうがはるかに実践的に教えてくれます。
つまり、従来型の社会や会社に「役立つ」「人材」育成は、AIの前で意味を失いつつあるのです。


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