実は、この「ビッグデータ統計植物学」なるものについて、「釜谷池周辺の植物の研究」に協力を頂いている植物学の専門家の先生との議論がありました。
植物名についての「割り切り」の提案
私は、BPUC Photoアプリでの「釜谷池周辺の植物の図鑑」の植物の同定について次のような提案をしました。
写真図鑑ですから、写真でしか判断できません。微妙な植物については、実際の植物を子細に観察しないと、正しい同定はできないと思います。つまり、本当にその写真に写った植物が同定した名前のものかどうかは、確かめようがないわけです。
そこで、例えば、タンポポの写真が2枚あって、どちらも上からの写真で、セイヨウタンポポかカンサイタンポポか区別できないときは、「タンポポsp.」などとせず、割り切って、1枚をセイヨウタンポポ、もう一枚をカンサイタンポポとします。別の写真で、花を下から撮影したものがあり、確実にどちらかに同定出来れば、そういう写真も、上からの写真と合わせて、「図鑑」に蓄積されていきます。「カンサイタンポポ」の図鑑にたくさんの写真が並んだら、文章での説明と合わせて、総合的に、カンサイタンポポというものがわかるようになると思います。1枚1枚の写真は、あくまでも植物の1断面という位置づけでいいと思うのです。
それに対して、植物学の先生から、「いいかげんだ」とメールでかなり厳しく叱られました。
違った立場の共同が新たな可能性を切り開く!
それに対して、私は次のように返信しました。
私は植物学を学んだことはないので、その研究スタイルについては、想像することしかできません。おそらく、植物学では、1つの植物を同定するのに、ルーペで花を子細に観察したり、根を掘り出して調べたり、標本を作ったりして、詳細に調べるのだと思います。ミクロの視点からのアプローチです。
私は、数学の教員で、コンピュータサイエンスを趣味で研究し、プログラミングをしています。今回開発したアプリの名前は、BPUCPhotoですが、このBPUCは、「Bigdata
oriented(ビッグデータ指向)Personalizable(自分用にできる)Universal(何にでも使える)Collaborative(みんなで使える)」の略です。この「ビッグデータ指向」というのが、今回の研究でも私の根底にあります。
つまり、1枚1枚の写真の同定に多少の不正確さがあっても、それがたくさん集まると、対象の植物の本質に迫れるのではないかという考え方です。数学でいう「大数の法則」です。このアプリでは、「索引」のエントリーをクリックすると、その植物の「図鑑」のページが開きますが、代表的な写真1枚と説明文の下に、その植物に同定した写真が全て並ぶという仕組みです。その写真群を眺めれば、もし同定が間違っている植物が混じっていたらすぐに分かるし、その植物の様々な角度から撮った写真や、異なる季節の異なる姿の写真を一覧することができるので、その植物の本質に迫れるのではないかという仮説が、アプリの設計思想としてあります。
ビッグデータ指向の例を一つあげると、私は生徒に、既に同定されている植物でも、心を引かれたら写真に収めるように指示しています。そうすると、一つひとつの植物を収めた写真の枚数を調べることで、近似的に、植物の出現頻度や生育密度(植物学では何というのでしょうか?)が分かるのではないかと思います。登録されている写真の枚数順に、索引のエントリーを並べる機能を実装しようと思います。「釜谷池周辺でよく見かける植物ベスト30」、「釜谷池の散歩が格段に楽しくなる、憶えておきたい20の植物名」などの企画が簡単にできます。
ビッグデータ指向は、マクロの視点からのアプローチです。
一つひとつの植物の本質に迫ろうという目的は同じですが、それぞれのバックグラウンドの違いから、アプローチが、マクロ、ミクロと、正反対なのだと思います。それが、感覚の違いを生み出しているのではないでしょうか。
ここまで考えて、私は、この「違い」こそが、もしかすると新しいものを生み出す原動力になり得るのではないかと思いました。
今回、高校の課題研究という場のおかげで、従来接点がなかった植物学の専門家と、コンピュータサイエンスを学び実践している教員が、生徒を仲立ちにしてつながることができました。これは、従来なかった画期的なことだと思います。お互いの感覚やアプローチの違いを尊重しつつ、現場では工夫して折り合いをつけながらプロジェクトを進めていけば、従来なしえなかった面白い発見や画期的な成果が生まれうるのではないかと、ワクワクしました。
先生は、この議論を受けとめて下さいました。本当に感謝しています。
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